情報の選択

 今話題(?)の民主党の永田某氏による自民党へのデマ(?)メールに見られるように、自分にとって必要な、もしくは欲しい情報が自然に集まるような現象があるように思える。
 もちろん、自分が必要な情報であるから必死で調べて探すのだが、やはり言論の自由が保証(?)されているため、玉石混交になるので、取捨選択が必要になる。
 昔、まだインターネットが一般的でなかった頃、自分は本屋・古本屋を歩き回って、情報を得ていたのだが、その頃と、池田某氏と何が違うの考えてみたい。


 当時、怪しげな世界に片足を突っ込んでいたため、その方面の情報にふれる機会があるのだが、ついに一度も引っかからなかったというか、怪しいなりにもより間違った方面に進まずに済んだように思われる(もしかして記憶は嘘をつくかも)
 今でも印象深いのは天行力を唱えた福永法源(何年か前に御用となったが、当時はまだつかまっていなかった)の本を見かけたのだが、数ページ見ただけで絶対に買わないと自信を持って返した事があった。

 基本的には、ある情報をベースにほぼ同じ情報を仮に正しいとして、その情報を繰り返し刷り込むことで、自分の記憶をより確かなものにしていくし、大きく違うものは排除する機構が備わっているのだと思う。
 多分この最初の情報がキモになるのではないか? 科学は、万人が同じ現象を再現できることを前提に成り立っているわけで、そこから外れたものや証明できないものの排除は楽なはず。
 でも、欲望とか希望とかが、元々の情報にバイアスをかけてしまい、とんでもないことになるのだろう。

 とりあえず永田某氏は、自身の力で、情報を判断するか、情報を判断できる人間が確かなものかどうかの判断能力を身に付けたほうが良いと思う。
 


 どうにも話しに乗り遅れた(書き送れた)感があるのですが、とりあえず。