教育

2006-03-16を見て
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/060314/index.html
を見つけました。
プロジェクトXの後継みたいな感じがするなぁ、と1回だけ見たことがあるのですが、それ以降見る機会に恵まれていません・・・

 教師の役割は「生徒が伸びる“きっかけ”を与えるだけ」と竹岡は言い切る。生徒が力をつけたとき、「俺が教えてやったから」と思うのは教師のごう慢であり、生徒自身が努力した結果だと考えるべきだと言う。

すばらしいですね。というか趣味とか好きなことに関しては、きっかけを見つける機会を、生徒の側が非常に積極的に見つけるので良いのですが、好きでないことはなかなかそうもいきませんからね〜

 一方、教えるのに最も大切なこと。それは、「ごまかさないこと」「辛抱すること」の二つだと竹岡はいう。ごまかさないで、正直に、そして正面から生徒に向き合う。そして、何回失敗しても、辛抱強く生徒が伸びるきっかけをつかむのを待つ。
 「ごまかさない」「辛抱する」。この二つを支える教師の根底「愛情」につきる。

以前、教育方法に関して、徒弟制度とか西岡常一氏の事とかを書いたのですが、まさにこれですね。

今回、徒弟制度に関して思ったのですが、多分、伝える情報量は詰め込みに勝るとも劣らないものだと思います。
詰め込みの場合、予めというか知識として覚えておけるし、単純に情報として記憶できるのが利点でしょう。
それに対して、徒弟制度のようなものの場合、覚える情報量が一度に沢山入ってくる。でもそれを弟子の側が順番に確実に記憶していき、かつ、その工夫した過程も記憶し、その過程が生きてくる場合にとても有効なのでしょう。


たとえば、テニスでフォワハンドを教えるとして、若ければ(幼ければ)真似ることを勧めると思うのです。いい感じになるまで繰り返す。それだけの時間もあるし。
でも、成長してしまっている場合、欲(お気に入りのあの娘に良いところ見せよう)とか妄想(思いっきり振れば、テレビで見るようなプレイヤーみたいになれる筈)とかに阻まれるし、何より時間が無い。
だから要点だけを教えてしまう。
こうテイクバックをして、ボールが左手でつかめるくらいまでひきつけて、体重を前に移動させながら、腰のラインと水平にスイングする。という感じに。
でもその裏にあるもっと沢山のポイント、例えばテイクバックをしっかりすることで肩が入って、体重移動の方向がきちんと定まるとかがあって、これが出来るまでは、強いというか気持ちの良いショットは打てないのだと思う。
詰め込ませようとしても、フィードバックの途中で劣化(忘れる・間違える)してしまい、意味まで(上の例の体重移動がスムーズにできるということ)考えるか教えてもらわないと、上達できないと思う。


今、自分は車の運転技術の向上を目指しているが、一応毎日練習はしているし、何より楽しくなっている(ランナーズハイみたいな?)多分練習しないと気分が悪くなるのだと思う。気功のときもそう言われたし。ある意味あたりまえなんだろうけど・・・
いつになったら裏の意味までイメージできるかな?http://www.es-azur.com/room.no-015.htmそれくらいまでできれば、競技会に出ても恥ずかしくないようにはなれるんだろうけど・・・

精進精進

追記:言葉とイメージというものに関して、
http://blog.mf-davinci.com/mori_log/index.phpの2006年3月12日のHRというカテゴリの中の記述に触発されました。

 頭の中には映像がある。思考はビジュアルだ。学生の頃、文系の人が、「人間は言語で思考している」と主張して引かないので、びっくりした。それは明らかに一般的ではない。僕は言葉で思考しているのでは全然ない。たとえば、工作でどのように組み立てようか、というときに、言語を使って思考しているなんてことはありえない。言語で思考することも稀にある、というだけだ。
 僕の場合は99%は映像である。数字も映像だし、力学のベクトルも映像だ。漢字の読み方も映像。たとえば、「鎌倉幕府」というと、山門の映像があって、その山門に「1192」という数字が描かれている。そういうふうに記憶している。だから、その映像を頭の中で読んで、「いいくに」と連想するのである。右や左だって映像だ。
 物語のビジュアルイメージは、小説のテキストデータよりも情報量がはるかに多い。頭の中にある映像を眺めて、その一部を書き留める。それが執筆作業である。10の情報を見るが、次々に流れてしまうために1しか書けない。どんどんさきへ流れるから、早く書かねばならない。したがって、ゆっくりと時間をかけて書くことはむしろ難しい。
 一方、文字で物語を読む作業とは、テキストデータを頭の中でビジュアルに展開することだ。1しか書かれていない不足したデータを基に、10のものを組み立てる必要がある。時間がかかる作業であり、エネルギィも必要だ。非常に疲れる。
 一般に、本を早く読める人の多くは、文章を頭に入れているだけで、映像展開をしっかりとはしていない。稀に、天才的に映像展開が素早い人もいるようだが。