ある意味自分探し病なのか?

就職活動における自分探しの病は致命的 | 旧館:物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

ж実はこれが、日本の組織がいまもろくなっている理由の一つだと思う。そもそも会社という機能集団が、機能すると共同体に転化してしまうという不思議な特質を持つ日本社会の伝統下では、本来はメンター制度的な徒弟制度、弟子師匠的な一子相伝的な関係性が生きていて初めて、倫理や作法技術が強烈に伝承されていくのだが、グローバルスタンダートという名のアメリカ型の日本にはあわない非常に特殊な組織運営方法が日本を席巻していて、日本の会社共同体や家族共同体が崩壊しているがゆえに起きている、と考ええると非常にわかりやすい。この議論は、最高に面白いので、山本七平氏の下記の議論は、読むと目からうろこが落ちる。

入社後n年経過しても成長した気がしないのは、自分探し病に罹っているのか?
少なくとも今の会社から何か強く影響を受けたという気がしない・・・
逆にこの程度出も組織はそれなりに機能することに、一番驚いている。

何かを教えてもらった気もしていないし、逆にきちんと教えてもいない。入出力がどちらも0なのかも。
普通に休みも有るし、給料も酷すぎるわけではない。というのもぬるま湯なのかな?
制度、仕組み、運用か・・・?


読み直して追記:
自己分析は多分必要なんだろうけど、その結果をうけてどうしていくか、っていうのが見つからないということなのかな?
とりあえず、何かがしたい、できるようになりたいという理想が有って、それに対して不足しているものをテストとか分析することで再確認する。
再確認後に行動をするって事でよいのでは?
”自分”というものなんて、物理的にも精神的にも常に変化している。細胞は日々、生成消滅しているわけだし、精神的になんて、5分前とも違うくらい変わりつづけている。それをある程度はともかく、あまりに固定的に見てしまうという発想が問題なのかな?


生きていくため、遊ぶために働くのは当然の事だと思うし、親に育ててもらった以上、その面倒を見るという恩返しは当然だろうし、親から学んだものを次に伝えるのはある意味興味深い実験だろう。
変化する意思が無い人間のことは嫌いだと思うので、多分、絶対に理解できないんだろうな。これは自分の有言時間という事で無視したいし。そういう人間と付き合う環境に向かおうとすることがあれば別だろうけど・・・


働く意味?遊ぶかね欲しさに決まっているじゃん。遊びたいもん。自分の限界というものにも興味があるから、いろんな事をしたい。という意味の遊びね。


自分(というか多分”こころ”とかいうブラックボックス)なんて所詮、学習による反射でしかないと思っている。
思いに対して、体を動かせば行動になるし、そうならなければ、”こころ”の反応でしょう。
それを眺めるというか観察する瞬間にしか、”自分”というものは見えないんじゃないかな?