枇杷の砂糖煮 : 夢見るかえるより

自分のありったけの知識、ありったけの経験、ありったけの存在すべてを、惜しみなく後輩に伝えることに躊躇を覚えるようになったなら、そのときが自分の限界と知れ。
そのときには、逡巡なく、自らの地位を後輩に譲るべきである、と。

父が生きてきた会社社会とは違うのだ、この世界では手術件数こそがものを言うのだという私の弁を嘲笑って父は言う。

技術的なことは俺は解からん、だが、己の知識を常に高めようとする努力がある限り、譲れぬ自分の居場所はあるはずだ。
それすら奪われるほどお前の後輩が進歩を遂げたなら・・・・・

そんな嬉しいことはないはずじゃないか。
それに、

と父は続けて言った。

今の仕事をやめたって人間生きていくことはいくらでもできるんんだ。
用がなくなればさっさとやめて、好きなことをして生きるまでさ。

格好良すぎですね。
これ以上の誉め言葉が見つからないくらい。
少なくとも、その後輩も自分と同じだけ努力をしたということでもあるでしょうし。
自分と同じだけの努力を重ねてきた、という事実を認めるのは中々良い事(現実には稀?)なのではないでしょうか?
正しい弟子の姿に対して正しい師匠の姿かも。